2014年8月28日木曜日

中二病な記述

根が複雑な分岐を繰り返し地の中で複雑に絡み合ったとき、地から吸い上げられるもの。
葉の裏にある気孔、リズム正しく息遣いから吐き出されるもの。
空で白い光のノイズとなるもの。
陽光を浴びてキラキラと輝くもの。
空からポツリポツリとふるもの。
寒い時に吐く息から見えるもの。
空から結晶となって、ユラリユラリと落ちてくるもの。
地面を暴れまわるもの。
大地を削っていくもの。



ゲームは状況を表現するという新しい段階に入った。
任天堂は古いゲームの経験値を膨大にためているがそれに気づいていないっぽい。

この状況というのを私は、うまく説明できない。



大雑把で大げさなわかりやすい少ないポリゴンモデルで表現されていたものが昔のモデルだった。
今は一流の俳優のようなしぐさの連続がプレーヤに与える印象の差。
これは人間関係や人間の心理に与える演出という状況が作り出されている。


巨大な生き物が森の木をなぎ倒して、その横を主人公が見つからないように歩く。
という状況は、画面やエフェクトやなぎ倒される木などが綺麗に表現されないとそのドキドキ感は、それが低質な画面で作られたゲームでは表現できない、質が根本的に違う。



CPUの心のモデルが多様になったら、それを組み合わせたり、心の状態が自然変化しそれが複数のキャラで関連を持たされるとき、新しい付加価値を作れる。
心のモデルがゲームに与える影響という状況が表現できるようになっている。


うまく説明できない。
小さな惑星から飛び立って宇宙に出て隣にある小さな惑星に入るとそれがシームレスに描画される。
そしてその移動はユーザーの自由になる。

聖剣伝説2でフラミーの操作が可能になった時、それは空を自由に飛び回るという状況をえんしゅつできた。
これはブレイクスルーだった。
ハードの進化なくしてはこの状況の表現(空を自由に飛べる)は不可能だった。

今のゲームもこういう状況を構築でき計算する力が出てきたからこそ発生する状況。

こういうのは確かに状況的な何かがある。

うまく説明ができないが、いまゲーム業過はなにかが確実にかわってるんだなたぶん。

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