根が複雑な分岐を繰り返し地の中で複雑に絡み合ったとき、地から吸い上げられるもの。
葉の裏にある気孔、リズム正しく息遣いから吐き出されるもの。
空で白い光のノイズとなるもの。
陽光を浴びてキラキラと輝くもの。
空からポツリポツリとふるもの。
寒い時に吐く息から見えるもの。
空から結晶となって、ユラリユラリと落ちてくるもの。
地面を暴れまわるもの。
大地を削っていくもの。
ゲームは状況を表現するという新しい段階に入った。
任天堂は古いゲームの経験値を膨大にためているがそれに気づいていないっぽい。
この状況というのを私は、うまく説明できない。
大雑把で大げさなわかりやすい少ないポリゴンモデルで表現されていたものが昔のモデルだった。
今は一流の俳優のようなしぐさの連続がプレーヤに与える印象の差。
これは人間関係や人間の心理に与える演出という状況が作り出されている。
巨大な生き物が森の木をなぎ倒して、その横を主人公が見つからないように歩く。
という状況は、画面やエフェクトやなぎ倒される木などが綺麗に表現されないとそのドキドキ感は、それが低質な画面で作られたゲームでは表現できない、質が根本的に違う。
CPUの心のモデルが多様になったら、それを組み合わせたり、心の状態が自然変化しそれが複数のキャラで関連を持たされるとき、新しい付加価値を作れる。
心のモデルがゲームに与える影響という状況が表現できるようになっている。
うまく説明できない。
小さな惑星から飛び立って宇宙に出て隣にある小さな惑星に入るとそれがシームレスに描画される。
そしてその移動はユーザーの自由になる。
聖剣伝説2でフラミーの操作が可能になった時、それは空を自由に飛び回るという状況をえんしゅつできた。
これはブレイクスルーだった。
ハードの進化なくしてはこの状況の表現(空を自由に飛べる)は不可能だった。
今のゲームもこういう状況を構築でき計算する力が出てきたからこそ発生する状況。
こういうのは確かに状況的な何かがある。
うまく説明ができないが、いまゲーム業過はなにかが確実にかわってるんだなたぶん。
2014年8月28日木曜日
2014年8月19日火曜日
ナーガールジュナの中論を少しだけ読む
仏教のことは右も左もわからないが。
読んで何となく感じたこと。
仏教においては時間の概念は認められず、ダルマの縁起が変化することで進む。
つまりコンピュータのシミュレーションに近い。
また、五感に関する話などはどう考えてもヴァラモン教を意識している。
両宗教ともにインド人の共通認識から生まれてきたから似ているのか。
それともヴァラモン教の構造を仏教が間借りしたのかよくわからない。
仏教のことはわからないので中論は全く持って私には意味不明だが。
なんとなく感じたことは。
つまり現代風に解釈すると計算速度無限大のコンピュータの上で世界が走っているとしたら、定数解以外意味がないと主張してるように感じた。
現代人が時間の経過だと考える世界計算の途中解は計算速度無限大なので意味がないとナーガールジュナは主張してるのではないか?
とりあえずわかったことは仏教は難しいので私には全く分からないということだけだった。
何せ中論では、何物も同一のものは無い。
何物も常在するものは無い。
このルールがダルマにまで適用されるとしたらどんな結論がでるのか?
多分そういうことを中論は窮理したのではないかとは思う。
書けば書くほどこいつ仏教分かってねえなと思われるだろうけど感想を書いてみる。
時間という概念を認めないことからくる色々な矛盾を、中論は縁起とダルマの改善で解決しようとした。
土台が間違ってるから理屈が立派でも中論は砂上の楼閣だとは思う。
まず、インド人は輪廻転生、世界の無限循環という観念の中で生きていた。
だからものが形を変えても世界からなくなることはない、表面上形を変えてもアートマンやブラフマンという本質は変わらないとインド人は考えた。
縁起がなくなればものがなくなるという仏教はこれと矛盾する。
これは解決されねばならない。
また物事や人が変化しつづけるということは縁起からはうまく説明できない。
ダルマの縁起は成立してる間は固定的である。
しからば変化するはずがない。
ダルマの中に変化(去ることと翻訳される)という要素があればそれは常にダルマの関係である縁起の中に存在する。
変化の一種である去ること(縁起がなくなること)がダルマの要素なら、それはダルマが縁起を持った瞬間に発動して縁起が存在できなくなるはずである。
これから去る物の中には、まだ去るという要素をダルマはもつことができない。
今去ってるものの中では、ダルマは自身を消去してしまうので去ることを要素として持てない。
去ったものの中にはもう去ることという要素はダルマの中には存在してない。
すると変化はどこに存在するのか?
これを解決しようとしたのかもしれない。
感想者
堀江 伸一
読んで何となく感じたこと。
仏教においては時間の概念は認められず、ダルマの縁起が変化することで進む。
つまりコンピュータのシミュレーションに近い。
また、五感に関する話などはどう考えてもヴァラモン教を意識している。
両宗教ともにインド人の共通認識から生まれてきたから似ているのか。
それともヴァラモン教の構造を仏教が間借りしたのかよくわからない。
仏教のことはわからないので中論は全く持って私には意味不明だが。
なんとなく感じたことは。
つまり現代風に解釈すると計算速度無限大のコンピュータの上で世界が走っているとしたら、定数解以外意味がないと主張してるように感じた。
現代人が時間の経過だと考える世界計算の途中解は計算速度無限大なので意味がないとナーガールジュナは主張してるのではないか?
とりあえずわかったことは仏教は難しいので私には全く分からないということだけだった。
何せ中論では、何物も同一のものは無い。
何物も常在するものは無い。
このルールがダルマにまで適用されるとしたらどんな結論がでるのか?
多分そういうことを中論は窮理したのではないかとは思う。
書けば書くほどこいつ仏教分かってねえなと思われるだろうけど感想を書いてみる。
時間という概念を認めないことからくる色々な矛盾を、中論は縁起とダルマの改善で解決しようとした。
土台が間違ってるから理屈が立派でも中論は砂上の楼閣だとは思う。
まず、インド人は輪廻転生、世界の無限循環という観念の中で生きていた。
だからものが形を変えても世界からなくなることはない、表面上形を変えてもアートマンやブラフマンという本質は変わらないとインド人は考えた。
縁起がなくなればものがなくなるという仏教はこれと矛盾する。
これは解決されねばならない。
また物事や人が変化しつづけるということは縁起からはうまく説明できない。
ダルマの縁起は成立してる間は固定的である。
しからば変化するはずがない。
ダルマの中に変化(去ることと翻訳される)という要素があればそれは常にダルマの関係である縁起の中に存在する。
変化の一種である去ること(縁起がなくなること)がダルマの要素なら、それはダルマが縁起を持った瞬間に発動して縁起が存在できなくなるはずである。
これから去る物の中には、まだ去るという要素をダルマはもつことができない。
今去ってるものの中では、ダルマは自身を消去してしまうので去ることを要素として持てない。
去ったものの中にはもう去ることという要素はダルマの中には存在してない。
すると変化はどこに存在するのか?
これを解決しようとしたのかもしれない。
感想者
堀江 伸一
2014年8月8日金曜日
無意味な日本語羅列
砂を噛むような気持ち。
コンドルが脇をかすめる。
霧の中を進む。
霧の中の影はなんだ。
赤ちゃんの笑顔。
今夜は豆腐鍋だった。
神はいるのか?
熱心に議論している変人だ。
アート。
アーティスト、宗教家、ディトレ、ニート。
彼らが物語を進める。
ニンジンを短冊に切り、青菜を重ねて切り刻み豚肉を煮立てた鍋に入れる。
夕食の風景。
4人で囲む鍋、冬。
あかちゃんはアーティストの子供だ。
妻は別居し、パリで活躍しているという。
東京の下町。
浅草。
2LDKアパートで鍋をつつく4人。
2014年8月6日水曜日
AOJ Sort II - Minimum Cost Sort
会津大学オンラインジャッジ。
問 ALDS1_6_D
の解法。
問題原文はこちら。
http://judge.u-aizu.ac.jp/onlinejudge/description.jsp?id=ALDS1_6_D
独自解法。
配列の要素をマスとし、ソート後にあるマスに入る数字をそのマスの正しい数字と定義します。
問題の着目点。
要求されるタスクは、4,1,3,5
とあったとき
1を正しいマスに確定する。
3を正しいマスに確定する
4を正しいマスに確定する
5を正しいマスに確定する
ということです。
これを踏まえて解法を考えます。
解法は以下の通り。
処理A
数字列が与えられたとき、一番小さな数字に注目します。
一番小さな数字の入ってるマスに入る正しい数字。
これと一番小さな数を交換します。
一番小さな数が自分の正しいマスに入るまでこの作業を繰り返します。
正しいマスに入れば処理は終了です。
次は2番目に小さな数3番目に小さな数、、、も同様に処理Aを繰り返します。
これは、一番小さな数と、その小さな数のあるマスを正しい数で交換すれば、正しい数は最も低いコストでマスを確定できるのでこの処理は妥当です。
しかしこれだけでは処理はうまくいきません。
2番目に小さな数以降を処理する場合。
その数をm番目に小さな数だとします。
処理B
まず処理Aをした場合を考え、この時の交換手順をRとして記録します。
処理C
次にm番目に小さな数と一番小さな数を入れ替えてその後はRの交換手順通りに交換し、入れ替え終了後m番目に小さな数と一番小さな数を交換した場合。
Cのほうがコストが小さくなる場合があります。
B,Cを検討し、小さいほうを処理Aのコストとして確定します。
しかしRという点ではBもCも同じ処理ですから、処理Bの副産物として簡単に処理Cの場合のコストが出ます。
後は上記処理を効率的に実装した結果。
私の場合この問題の最悪の計算量はBigO 1000*log(1000)という結果となりました。
AOJを知っている方ならコードが合格したらまず解法に間違いがないとご理解いただけると思います。
私は6時間ほどコードをいじくりながらああでもないこうでもないと一人考えました。
その結果上記解法を思いつきこれに従いコードを実装したところ合格したので。
まず解法に間違いはないと思います。
解法者
兵庫県加古川市加古川町南備後79-16
堀江伸一
問 ALDS1_6_D
Sort II - Minimum Cost Sort
の解法。
問題原文はこちら。
http://judge.u-aizu.ac.jp/onlinejudge/description.jsp?id=ALDS1_6_D
独自解法。
配列の要素をマスとし、ソート後にあるマスに入る数字をそのマスの正しい数字と定義します。
問題の着目点。
要求されるタスクは、4,1,3,5
とあったとき
1を正しいマスに確定する。
3を正しいマスに確定する
4を正しいマスに確定する
5を正しいマスに確定する
ということです。
これを踏まえて解法を考えます。
解法は以下の通り。
処理A
数字列が与えられたとき、一番小さな数字に注目します。
一番小さな数字の入ってるマスに入る正しい数字。
これと一番小さな数を交換します。
一番小さな数が自分の正しいマスに入るまでこの作業を繰り返します。
正しいマスに入れば処理は終了です。
次は2番目に小さな数3番目に小さな数、、、も同様に処理Aを繰り返します。
これは、一番小さな数と、その小さな数のあるマスを正しい数で交換すれば、正しい数は最も低いコストでマスを確定できるのでこの処理は妥当です。
しかしこれだけでは処理はうまくいきません。
2番目に小さな数以降を処理する場合。
その数をm番目に小さな数だとします。
処理B
まず処理Aをした場合を考え、この時の交換手順をRとして記録します。
処理C
次にm番目に小さな数と一番小さな数を入れ替えてその後はRの交換手順通りに交換し、入れ替え終了後m番目に小さな数と一番小さな数を交換した場合。
Cのほうがコストが小さくなる場合があります。
B,Cを検討し、小さいほうを処理Aのコストとして確定します。
しかしRという点ではBもCも同じ処理ですから、処理Bの副産物として簡単に処理Cの場合のコストが出ます。
後は上記処理を効率的に実装した結果。
私の場合この問題の最悪の計算量はBigO 1000*log(1000)という結果となりました。
AOJを知っている方ならコードが合格したらまず解法に間違いがないとご理解いただけると思います。
私は6時間ほどコードをいじくりながらああでもないこうでもないと一人考えました。
その結果上記解法を思いつきこれに従いコードを実装したところ合格したので。
まず解法に間違いはないと思います。
解法者
兵庫県加古川市加古川町南備後79-16
堀江伸一
登録:
コメント (Atom)